もともとこの世界(からだへの興味を活かせる仕事)に眼を向け始めたのは、子供の頃の両親の教育があってのことなのですが、加速させたのは、中学高校時代に読み込んだ漫画「北斗の拳」や「スプリンター」といった作品達ではないかと思います。実際に高校時代には、一番からだを意識し、繊細に感じるスポーツだと思われる「陸上競技部」に所属し(これも父親の影響大!)、自らのからだの変化が記録への変化というものに変わっていく点が非常に面白かったです。今現在私が持ち得ている知識を、その頃の私が持っていたとしたら、そして実践できていたとしたら、どんな激的な変化が起きていたのかと思うと、とても興奮します。 1988年夏 私はある小学校のプールで指導を外れたところで重傷を負いました。 「第5頚椎損傷、頸髄不全損傷、不全麻痺」ということで、命は助かりましたが、一生寝たきりの可能性の宣告もされた状態でした。本当に幸いにして、どこかで見守ってもらっていた力のおかげか、運良く復活を遂げ、スポーツを行えるからだにまで戻ったのですが、選手として活躍できる能力は失せてしまったので、そこからはスポーツに関わる研究者になる道を歩もうと考えました。 大学は理学部へ進学、運動やスポーツを「生理学」から見るアプローチ方法を選択し始め、学科の選択科目として、臨床検査技師免許取得コースも取り、医学系の知識を増やしていくことになりました。 大学での知識獲得を発端に、次にあらためて体育系の大学院に進学することを決意。ここで初めて、「運動とは…」という処に辿り着いたのです。 修士論文課題は、「運動時の過酸化脂質とプリン代謝産物の関係」といったもので、毎日ネズミを走らせ、解剖して筋肉を採取して、生化学的データを取るという日々でした。 ですが、私の中には、もっと「対人間」という処で仕事をしたい願望が強くなっていき、その頃に学内で、『トレーナー』という職業があることを知りました。 そして、大学院卒業前に、鍼灸専門学校に進学を決め、『トレーナー』という職業に憧れと期待をもって突き進み、各所で『トレーナー』の経験を積み、レアルパフォーマンスを開院することになったのです。